“ボランティア“について


【2017年9月7日 7:52 PM更新】

こんにちは!

 

WFM Youth-Forumの袴田です。

 

暑い日が続きますが、皆様体調の方はいかがでしょうか?

 

さて、第二回目の投稿は、“ボランティア“についてです。

 

私がボランティアをしたカンボジアのエピソードを交えながらお話していきます。

 

 

2016年9月カンボジア訪問

昨年の9月、私はサークルの仲間と共に、カンボジアに10日間渡航しました。最近はカンボジアに旅行する方が増えてきていますよね!

現地では知り合いのカンボジア人の方がポケットマネーで経営している塾と孤児院で子どもに英語を教えたり、遊んだりしました。

 

 

カンボジアの教育制度について

カンボジアはポル・ポト政権下の大虐殺による混乱の影響で、教育制度が十分に整っていません。また、教師も不足しているため、小学校は午前か午後のどちらかのところがほとんどです。家計を助けるために小学生の頃から両親と働いている子どもも少なくありません。その中で私が出会った塾に行けている子ども達というのはまだ恵まれている方なのだと思います。

 

カンボジアの孤児院

孤児院にいる子どもというと、親が亡くなって身寄りがないからここにいるというイメージがありますよね。私もそんなイメージを抱きながらも、創設者の方と話す時間が会った時に、「なぜここにいる子ども達は預けられているのか」という質問をしました。ここにいる子どもたちの親はほとんどご存命です。しかし彼らは子供を金銭的に育てるだけの余裕がなく、子どもを孤児院に預けています。しかし、親たちはほとんど子どもに会いに来ないそうです。

 

ボランティアのゴールとは

私が訪れた塾・孤児院は創設者がツアーガイドをして稼いだお金と、私たちのようなボランティアから徴収するお金によって運営されていました。政府からの補助はほぼなく、完全に創設者の善意によって運営されていました。発展途上国に行くのはこれが初めてだった私にとって、現地の人が自らの国の社会問題点に取り組んでいるというのは驚きでした。ですが、発展途上国にとっての理想は、外国からのボランティアを受け入れなくとも、自国の人同士が助け合うことなのだと思います。

 

ボランティアの“その後“

私が、カンボジアから帰ってきて1ヶ月ほどした頃、現地の職員さんから塾の方を閉鎖すると連絡がきました。その時、私はすっかりカンボジアのことを忘れかけていた自分に気づきました。

行っただけ・勉強をほんの少し教えただけ・一緒に教えただけで満足していた自分がとても恥ずかしくなりました。

 

ボランティアの意義

さて、ボランティアって改めて何のためにするのでしようか?自分もお金を使って行っているのだから、自分がやりたいことをやるのも間違ってはいないのでしょう。しかし、ウガンダに行った私の友人は「現地の人が支援されることに慣れていて、受け身になっていた。私はこれで良いのかと何回も考えた」と言っていました。現地の人が受け身にならないためには、数年後の彼らの姿を見通し、現地の人に寄り添って支援方法を考えなければならないと思います。

 

WFM Youth-Forum

私たちが日頃行っているのは世界・国連のことを若者世代に知ってもらうという活動です。これは今までお話してきたボランティアのように、特定の場所に行くわけでもないですし、相手(若者)の顔が見えないことがほとんどです。しかし、活動の目的を常に胸に置き、ただ前進しなければならないと思います。出典の記事の“内的要因“を満たすためのボランティアにならないように気をつけなければならないのです。

 

おわりに

国際協力・ボランティアをやっている方は一度は考えたことがあると思いますが、離れた地にいても、なにかできることがないか。そして自分よがりな行動になっていないか、常に 模索していきたいものです。

 

 

出典

たびハック https://tabihack.jp/volunteer/


前へ:«
次へ: »

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

カテゴリ【記事】の関連記事

(2017年8月30日更新)

「グローバル人材とは」


記事一覧








▼ご入会・お問い合わせはこちら
お問合せフォーム
 
 
▲PageTop